ココロのカケラ

あの子のいた軌跡

小石

あの子が小さかった頃 近所に砂利道があった


今は舗装されているけれど 当時 少なくなりつつあったけれど
土で できた道路があって たまにお散歩したね


石ころが 多くさんあるのが珍しいのか なかなか進まない
タンポポのような雑草 白い石 
ひとつひとつ教えてくれる


そして


「おかあさん! みてみて!
  おおきな小石!」



かわいかった 動画にでもとっておきたいくらい かわいらしかった


でも その頃のわたしは 素直に「かわいい 大好き!」って言えなかった


もったいなかったなぁ



おおきな 小石… 小さい石を小石って言うんだよ



散歩してる親子をみると 思いだす 



小石  こいし  恋し
あのころに もどりたいね 
遺影を見るたび 昔をおもう

役目

 百か日をおえて片付けをしながら、
何も考えて無いはずなのに無性に涙が溢れる。


いいよね 今、一人きりだし 泣いても大丈夫


ひとしきり 思い切り哀しんで 何とか夫の昼食をつくる
食後 下の子のこれから先のことを話す。
前にも 数回言葉を変えて 話しているはずだけれど
やはり 覚えていないようすだ。


そういうところあるのよね
お金のことも 子供たちのことも
そういう人なのよ しかたない


来年度の所属は・・・ 
いずれは グループホームに・・・



まえは なんで大事な事なのに 忘れるかなぁ
などと 思ったりしていた。
でも この頃どうでもよくなった。
お義母さんを見ていても 何となく人って変わらないものだから
憤るだけ疲れるし 自分もいろいろあると思うし ムダだと思うようになった。



何かの本に


「こどもは 親を大人にするために 生まれてくるんだよ」って書いてあった。


あの子と過ごした日々 わたしは 未熟だったけど 
わかった事も多くさんあったと思う。


だから
遺影にむかって 
「Tちゃんは 勤めを果たしたよ。ありがとうね。」と声をかけた。
こころもち 顔つきが明るくなった気がした。

2月21日

 先週、新亡精霊供養に行ってきた。
大丈夫 泣かなかった。お寺の近所は あの子の小さな頃の思い出が多くさんある。でもちゃんと泣かずに運転できた。


泣かなくなった。
でも ずっと考えてる。
ああして 生きて行こう。
こうして 生きて行こう。
…まるで 呪文のように…
そして こころの片隅で思っている「もう希望も楽しみも死ぬまで無いだろうけれど」


ここ7,8年 私の願いや希望は、いつかあの子と楽しく過ごす日が来ることだった。


あの教師に かかわるまで 私達は幸せだったと思う。


でも、あの教師の対応のせいであの子は私から距離をおいた。


状況的に あの教師しか原因は無い。
でも、当時の私は力がわいてこなくて、行動不足になった。


教師なんてものは、たかだか長くても数年しか関わらない存在だ。それなのに、一生の責任など取れないだろうに、知識も付け焼き刃程度で母親を 保護者を小馬鹿にする。


あの子の傾向が わかっていなかったあの教師。卒業の挨拶の時「一人だけ救えなかった生徒がいるんですぅ…ウルウル」とわざとらしく涙を流すふりして教室を駆け去った。
そうすれば、万人に悔んでいるのねと思われるとでも思ったのだろう。


本当に救いたいと思っていたなら なぜ私と対峙しなかったのだ?
私が、私達が なにをした?
いま この現実を この悲しみを 


あの おとこのせいで…


あの子は孤立へと向かっていったんだ。


でも、どうせ、「そんな事になるなんて思わなかったんです、そんなぐらいで人間関係ががらりと変わるんですか?」
とでも言うのだろう。


変わるんだよ!


障害って そういうことなんだよ!



なんで
なんで
なんで
あのときの私は 言えなかったの?
行動出来なかったの?


悔やみきれない
 
死ぬまで 死んでも ずっと


あの子を 一人にしてしまった私の罪


もう償えない




あの教師は 確かに憎い
でも 私は仕返しをすることはない
やりようも無いし 役目ではない



ただ ただ 死ぬまで生きて行こう。