ココロのカケラ

あの子のいた軌跡

お仏壇

昨日 新しいお仏壇にかえた
何か目先の変わることは なるべく下の子が居るときにしている
そのほうが 言葉で伝えるよりもストレスが少なくて済む


前の日から 遺影の取り付作業など夫にしてもらいつつ
お坊さんが来る時用の模様替えをしていると 下の子が何か自分も手伝いたそうにしている
こういう真面目で健気なところ あの子にもあった


小学校高学年のころ 私が何かで落ち込んで
「人間は 辛い 不幸になるばかりの為にいきてるのかと思うよ…」
なんて 親のくせに愚かなことを言ったときも
「違うよ 幸せになるためだよ」と言って 正気に戻してくれた
そう言ってくれたから 二度と家族の前でそんなこと言わないようにしようと思ったんだよ
それなのに…
そう言ってくれたあの子がいなくなるなんてね…


遺影に目をやる 
どうしてもっと 親らしくおおらかな言葉かけが出来なかったんだろう
心の中で思っても 通じなければ意味なんてないのに きっとわかってくれるなんて 軽く考えていた自分に腹が立つ
 あの子だって わからない世界で 一人で苦しんでいたのに
私という人間はいつも初めは失敗する あの子はそんな私の犠牲になってしまったのかもしれない


花を飾って お供えをして お線香をあげる
自分が悪いのだから もう 誰かの前で泣くなんてできないね これからずっと

1月21日

私のドレッサーに千代紙の切り抜きが二つ飾ってある

あの子が小学生のころ 大好きだったお友達との思い出のものだったと思う

もう15年くらい前だから 入手したいきさつはおぼろげだ

けれど あの子は本当にその子が好きで

「オレは一生おヨメはもらわない」「好きな人は転校してしまった…」と言っていた表情ははっきりと覚えてる

明るくて たしか体操か何かを習っていた子だった


本当にその通り お嫁さんはもらわないでしまったね


窓のそと 並んで歩く二人連れに一瞬空目した冬の夕刻


千代紙見ながら 

もう 色がさめるぐらい月日が経っているのに気付いて苦笑する

1月20日

ひにち薬 と言われた


………たぶん時が癒やすと言いたいのだろう

でも 薬もいろいろあるよね


癒やす薬では 無い気がする

どちらかと言えば

感覚を麻痺させるタイプのものではないかしら…


欠落したこころの真ん中は

ぽっかりと大きな穴があいたまま

患部はむき出しになっている


そこに 一日分づつ塗り込められてゆく

なさけ容赦なく 毎日 毎日





もう二ケ月たったし 落ち着いたよね?


あぁそうか、励ましてくれているのか……



時の流れ方も 人によって違うものということか




でもやっぱり わたしには ただ辛いばかり