ココロのカケラ

あの子のいた軌跡

送る日

 控室は広く感じられた
あの子を くるんだタオルから出す
「外は 寒かったね」


手配しておいた 花 菓子 果実が届く
ほどなく 住職の息子さんだろう若い僧侶に案内される


あと数分なのに 父が来ない
昭和一桁生まれだから このご時世にムリはしないで欲しかったのだが
なんとしてでも来る様子であったので 気がかりであった
白い息をはずませ スマホを握り 雪の境内から門の外まで出てみる
家電も携帯もつながらない 何度かかけても埒があかなく仕方がなく戻れば
裏手から来たらしい父の姿があった
年をとったせいか… もとからそういうところがあったのか…
子供のころから この人の癇癪を気にかけて 私は人の顔色をうかがうようになった
今ならわかる 時間の見通しがこの人は苦手なのだろう
「わかりにくい道だものね…」と弁護する


席に付き読経が始まる 命日と名前が聞こえた時不意に涙が溢れる
声を押しころして ただ虚しさにまかせ泣き続ける
家族だけの焼香はあっという間におわる


住職が退室し 納骨堂へ小さい方のお骨を納める 非常に寒い 仕方ない
大きい方のお骨は 暖かくなってから 石材店に名前をいれてもらってから納めるようにとのこと


家に帰り お骨を安置して 仏壇の購入のこと遺影のことなど話す
まだ 私のほうの親類には話していない 夫の方は話しても良いと思うけれど…
ひとつひとつ 納得して静かに送ってあげたいの…
それに やはりまだ 泣いしまうと思うし…あの人達の前で なんだか泣けないのだ…
ひとしきり 親類の近況など話し 父は帰った


寒中見舞いをだす先を 話せたのはよかった 最低限でいい
世間の人達のなかで 生きてるように思っていて欲しいようなおかしな感覚
まだ 私は受け入れられないでいるのかもしれない
…いそがなくても許されるよね
さみしいけれど 追いかけたいなんて 誰かのまえでもう言ったりしない
ちゃんとがんばるから 今はまだ お悔やみの言葉を聞きたくないの…
いちにち いちにち 過ごしてゆく  涙はまだ 枯れないけれど

1月8日

雪は朝にはすっかりやんでいた。

アイスバーンの上に 除けきれてない雪が残りタイヤが取られて、走りにくそうだ。


あの子の部屋の後片付けとお焚き上げを依頼する。

業者は時間がなさそうで けれども丁寧に応対してくれる。今年は、どうやら寒いめの年らしいから、防寒の衣類もお願いした。

「全部処分して良いのですね?」と業務上必要な確認をされる。

処分と聞くと 少し切ない。なので「ええ、お焚き上げで…」と こころもち強調してみる。

プロの仕事は速い。ホットチョコ一杯飲む間に終わってしまった。


何も無くなった部屋を 眺め、振り返りながら後にする。


 通っていた支援事業所に向い、何度か話した職員さんに挨拶をする。

いきなり行ったせいか、かるく慌てていたかもしれない。何を話すべきか、流れるように会話しながら、考えていたのかもしれない。


 車中で昼食をとり 管理会社との約束まで時間をつぶし、再度あの子の部屋へ向う。

途中、こじんまりした沖縄の言葉の看板の食堂を見かける。なんとなく、ここに立ち寄ったりしたんだろうなぁと想う。


 部屋の確認をしてもらい、最後の家賃とハウスクリーニング代を支払う。

カギを返して終わった。

だから もう ここにくる事は無いだろう…


ガス会社に連絡して 電力会社に連絡して 水道も電話して… すっかり何も無くなっていく。


「ほんの 2ヶ月前にはあの子は暮らしていたのにね…」

商業施設の防犯カメラ等に映ってないかな…

見せてもらえるなら、観てみたいなんて考えたりしている。

1月7日

あの子の暮らした街へと高速を走る。

天気予報は荒れ模様と報じるから

随分 夫は気をもんでいたが、なぜか私は不安が無かった。

そして 不思議なくらい晴れた綺麗な山並みまでみれた。

思えば、あの子と出かけたときも 天候には恵まれた。

「守ってくれているんじゃない?」

…「優しかったからな…」


そうだあの子は優しかった。私の渇望していた物を あの子は私にくれていた。


コミニュケーション能力というものの成長に時間がかかる人達が存在するという事を はじめに気付かせてくれたのもあの子だった。

それは人により形を変え、見え隠れしていると…


途中でお菓子を買った時のお釣りが 凄く煙草臭くて閉口した。あの子も匂いには敏感だったっけね…


ホテルについて夕食を買いに出ると雪が降り出している。明日は積もるらしい。

雪の歩道を踏みしめて歩く。

きっと 毎年この季節には くり返すだろう。