ココロのカケラ

あの子のいた軌跡

1月18日

薬を 2種類 医者からもらっている
そのうちの一つは あの子がなくなったのがわかってから 飲むきがしなくなってやめてしまった


そのことを 医師に伝えようとして
「子どもが亡くなって もう良い母親でいる意味もないので…」と言いかけて泣いてしまった
感情をむき出しにしては いけないと思い 謝りながら…
一度に全部やめないようにと 言われる
その後 なぜ泣いているのか?と聞かれる


……どうして 私はこんなふうにいわれるのだろう この人は何者なんだろう…
心療内科は こころを あつかう ところではないのだろうか…心からくる体の不調が悪くなるようなことを なぜ 言うのだろう…


わずかに 怒りにも似た感情がわいてくるのに気づく
でも それは 相手に何かを期待していたからだから… だから こらえる


「子供がしんだら悲しくないですかね…」と こたえる
う~ん 子供ね… 
とにかく 残りの 薬だけは今までどうりに だしときますね と言われる



あの子も 亡くなる前 心療内科に行っている でも 上手く 話せないから と断られたらしい



その時の あの子の気持ちを 考えると たまらない
どうして 身体障がい者なら 一生どこでもサポートしてもらえるのに
社会性や情緒やコミュニケートの障害は 配慮してもらえないのだろう


何もかも いやになるくらい 悩んでいただろうに…

センシティブな

何気ない言葉がいろいろな感情を巻き起こす


一人でいると 何となく名前を呼んだり 小さいころによく歌った手遊び歌を歌ったりしている 
一息ついて カレンダーが目にはいれば 二カ月前は きっと元気に暮らしていたのになどと思って 勝手に涙が出てくる


離れて暮らしていたから 寒いこの時期 天気予報を見てあの子の街はどうだろうと思いかけて もうそんな必要も無くなってしまったのだと思い知る




泣いてばかりもいられないでしょ


元気そうじゃない


子をなくしたひとは わすれられないって 言うじゃない?(どう?)




わかってる 悪気はないんだ  
言われる側の 心に寄り添えなんて 求めてはいけないんだ
それが 出来ないひとたちって 存在するものなんだ



せめて 自分は 
それに 気づいた自分だけでも
心がけて 生きていこう 
いつか もういいよって許されて
迎えがきてくれるその時まで

1月14日

出来上がった写真を置く


何かの本で見たけれど 夢などで出てくるときには
本人が一番いい時の姿だったりするそうだから
何となく 一番元気そうに見える写真をえらんだ


なにくれとなく 話しかけるのは写真に向かってのことがふえている



いとこに香典のお礼の電話をする
誰にも言わないでいたから 知らないのは当たり前なのに
みな 知らなくて…と すまなさそうにしてくれる
私達の気がまわらなくて 新聞にも出していない だから仕方ないのだけれども…


こんなことになった相手に なんて話したらいいのかなんて 戸惑う事だろうに
いとこ達は 気遣ってくれる………わたしは恵まれているね


でも あの子のことの 真実すべてを話せないでいる臆病な自分を自覚する


人は それぞれに 何を思うか その人の環境によるところが多いから
真実を話しても 理解されないような気がどうしてもしてしまうから


だったら 頑張った 一生懸命だった そう思ってもらえるように話しておけばいい
だって あの子はもう 自分で何もいえないんだもの